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大阪高等裁判所 昭和38年(ネ)188号 判決 1966年9月27日

控訴人 豊岡税務署長

訴訟代理人 岡本拓 外三名

被控訴人 竹野林産株式会社

主文

一、原判決を取消す。

二、被控訴人の請求を棄却する。

三、訴訟費用は第一・二審とも被控訴人の負担とする。

事  実 <省略>

理由

第一、被控訴人が昭和二七年度並びに昭和二八年度の法人税につきその主張の所得金額及び法人税額を確定申告したところ、控訴人が昭和二七年度については昭和二八年九月三〇日に、昭和二八年度については昭和二九年一〇月三一日にそれぞれ被控訴人主張の更正処分をなしたこと、控訴人が更に昭和三二年一〇月一六日右昭和二七年度昭和二八年度につき被控訴人主張の再更正をしたこと、被控訴人が右再更正に対しその主張日時再調査請求、審査請求を順次したがいずれもその主張日時棄却されたこと右再更正の明細が甲第一・二号証のとおりであることはいずれも当事者間に争がない。

又次に掲げる(1) (2) の各事実関係は本件口頭弁論の全趣旨に徴し明らかなところである。

(1)  昭和三一年中被控訴会社の監査役長谷川都夫がもと同会社の専務取締役であつた田垣林太郎並びに経理を担当していた取締役であつた永田正一の両名を城崎警察署に業務上横領罪で告訴し、事件は神戸地方検察庁豊岡支部で捜査されていた。そして検察庁から被控訴人に対し被控訴会社の別口所得につき調査してほしいとの依頼があつたので、控訴人の命により当時豊岡税務署法人税係長であつた今井治、同係員岸本金徳の両名が主となつて昭和三二年五月頃から検察庁に押収されていた被控訴会社の帳簿を調査した。ところが右帳簿類には前記更正処分の際控訴人に明らかになつていた被控訴会社の財産以外の財産(以下別口財産という)に関する記帳があつたので、右田垣、永田の説明を求め検討した上右別口財産が被控訴会社に帰属するものと認め被控訴会社の総勘定元帳(買掛金につき昭和二七年度は乙第一九号証の一・二昭和二八年度は乙第二〇号証の一・二、昭和二九年度は乙第二一号証の一・二)を作成し、これに基づき右別口財産のみに関する被控訴会社の昭和二六年より昭和二八年までの各年度末の貸借対照表(夫々乙第一〇号証の二ないし四)を作成し、右貸借対照表により計数的に前記再更正の明細を算出したものである。

(2)  被控訴会社は昭和二六年三月に資本金一〇〇万円をもつて設立されたが、右設立以前から竹野森林組合の関係者であつた前記田垣、永田及び山下純三(被控訴会社代表者)の三名は共同して兵庫県森林組合連合会(以下県森連という)が製材業を営んでいた竹野工場に原料を供給すべく、県森連竹野工場素材部の名を用いて山林立木の売買業を営んでいた。ところが、県森連が右竹野工場を払下げることになつたので、右三名が主となり被控訴会社を設立して払下げをうけたが、被控訴会社の資本金は殆ど右共同事業によつて得た財産から支出した。尚被控訴会社設立当時の共同事業における財産は金六〇〇万円を超えていた。

第二、控訴人は右別口資産を被控訴会社の財産であると主張するに対し、被控訴人はこれを山下、田垣、永田の個人財産であると主張するので、右共同事業によつて得た財産が資本金として支出された金員を除き、会社設立後も依然として三名の個人財産として残されていたか否かについて考えて見る。被控訴人主張のように被控訴会社設立に当つて右個人共同事業の全部を会社組織に移さず、単に一部のみを移し残りを従来どおりの個人共同事業として存続さすことも勿論あり得ることであるが、そのためには会社財産と個人共同の財産との間には明確な区別がなされていることが必要である。

そこで本件につき、右のような明確な区別があつたか否かにつき考察すると、次の(一)ないし(三)の三点に重要な問題点が含まれている。

(一)  先づ、原審証人永田正一(第一・二回)の各証言中には「竹野林産という会社にしても、やはり含み資産を持たぬことには融通がつかぬし、又仕事もできぬので、<フ>といつて裏の資産を持つた。例えば天竜林業と五〇〇万円宛出し合つて山を買う場合、竹野林産の名前で二〇〇万円程度持ち不足分を<フ>裏の方から補充していた。そこで会社の勘定と裏勘定との間に貸し借りが起るわけであるが、そこに区別は全然無く、唯、会社の財産面とか税金面において百万円の資金で大きな山も買えんから、竹野林産の買つた山の代金の内の一部分程度に会社の名前を出しておくことにしていた。又竹野林産の名で天竜林業に木材を売つた場合に、材木が多くて利益が多いと困るから、架空名義の口座を作つてそこに振込んで貰つた。会社分と<フ>分とは区別ははつきりせず、資本金百万円でそれに見合うだけを会社分と名をつけただけである、取引に当る田垣が現場におつて、会社の方に金がいるなと思えば、会社の名で材を出し、会社の方が多く出したらどうにもならんと思えば裏の方の別名で、貨車で送ると何か矛盾したやり方をしていた。その区別は計画せず臨機応変に両方使い分けていた。」との供述があり、

原審証人中村鉄雄(天竜林業株式会社取締役)の証言中には「天竜林業が山下、田垣、永田の三人と共同で半額宛の負担で山林の経営をした場合、現金で自分が直接竹野の方へ持つて行つたこともあり、又竹野林産株式会社の預金口座でなしに全然別個の実在或は架空の人に振込んでいたそれは三人の名を表面に出すと税金の対象になるので殆んど田垣の指示のとおりの名前に送つた。天竜林業との共同の仕事はすべて三人個人との共同の取引だけだと言い切ることはできない。共同事業で山を買つた場合、その伐採の現場には竹野林産の会社の社員が行つていたが、その理由は判らない。」旨の供述があり、

原審証人田垣林太郎の証言中には「竹野林産の設立当時は百万円の小資本であつたから、それだけでは会社の運営も困難なので最初約七〇〇万円弱の金を持ち、表に正式に出す分のほか、裏に含みとして五〇〇万円程を持つて設立した。それは、大きな資本にすると、その金の出所を税務署で追及される懸念からである。

従つて各取引の度に資金の都合により計画的にこれを裏にする、これを表にするという計画だつた販売なんかと違い、行き当りばつたり、その月に会社の裏勘定を多くした場合は、あくる月は裏勘定を少くした。結局帳尻が合うようにその時々でやりくりをしていた。貸借対照表(甲第三号証の一ないし三)に会社分と和知山分と分けてあるが、単に仕訳のしよいように分けたものと思う。和知山分が後に<フ>勘定になつたわけでもなく、表にあがつたり、裏に行つたり混同している。会社を作つた時、従来の利益の内、これだけの資産を会社へ出資して残りを三人で留保して、それは別口として経理していこうという話はなかつた。」との供述がある。

以上の各供述と対照して考察すると、<証拠省略>によつても、会社財産と、そうでないものとの間に明確な区別のあつたことは認めるに足りない。

(二)  当審証人岸本金徳の証言(第二回)によつて成立を認められる乙第一八号証の一ないし三は、豊岡税務署法人税係長今井治、同係員岸本金徳が別口取引について調査した際作成した別口取引部分的調整元帳であるが、これと<証拠省略>の記帳上、昭和二七年二八年度とも、会計年度の最終日に多くの買掛金の記入がなされており、必ずしも、そのすべてが同日に行われたものと見てよいか否かに疑問の持たれること、を比較検討してみると、控訴人が証拠説明書において指摘するように、例えば次の(イ)ないし(ニ)の諸点その他の各所に、その一つ一つの記帳がすべて誤りのないものであるか否かは暫く措き、表勘定と別口勘定との間に資金の相互流通が繰返された形跡は明らかであると謂わなければならない。

(イ)  被控訴会社は昭和二八年三月三〇日野上元三郎に対する買掛金五五万二、二〇一円を乙第一九号証の二に計上し、これに対し同年四月二〇日より一一月二一日迄九回に合計金五〇万四、三九九円を支払つた旨同第二〇号証の二に記載し、差引金四万七、八〇二円を翌期に繰越しているが右九回の支払代金の内同年四月二〇日附支払の一四万円は乙第一八号証の二により別口勘定に入金されている。

(ロ)  昭和二八年三月三〇日尾崎吉次に対する買掛金一〇万円を乙第一九号証の二に計上し、これを同年六月一五日支払つた旨同第二〇号証の二に記載しているが、同第一八号証の二によると右買掛金は昭和二七年一二月七日別口勘定より支払済であり、又右昭和二八年六月一五日附支払金は同日附別口勘定に入金されている。

(ハ)  昭和二八年三月三〇日竹野村に対する買掛金一四五万円が乙第一九号証の二に計上され、これに対し同年四月八日より一〇月一二日迄の九回にわたり支払つた旨同第二〇号証の二に記載されているが、右支払代金の内同年八月二六日の二四万円、一〇月一二日の二〇万円は乙第一八号証の二によると各同日附で別口勘定に入金されている。

(ニ)  乙第二〇号証の二によると、いずれも昭和二九年三月三一日附で古谷某に対し金一六万五、〇〇〇円、富森武に対し二口合計五〇万円、増田寛に対し金一五万円、野上某に対し金三三万八、〇〇〇円、長谷川某に対し二〇万円の各買掛金債務を計上しており、乙第二一号証の二によれば、以上の各債務および前記(イ)の野上元三郎繰越金四万七、八〇二円を同年四月以後にそれぞれ支払つた旨記帳(野上につき一部翌期繰越)されているが、乙第一八号証の二と対照すると、右買掛金はいずれも各記帳以前の債務であつて、古谷に対しては遅くとも同年二月一二日迄に支払い、富森武に対しては内金三五万円は昭和二八年一〇月二〇日別口勘定より支払済であり、残金一五万円については、乙第二一号証の二において昭和二九年七月六日支払記帳の翌日別口勘定に入金され、増田寛に対しては昭和二八年一〇月二〇日別口勘定から他の債務と合して金四〇万円を支払われ野上某に対しても遅くとも昭和二八年一〇月二三日迄に支払済であるのみでなく、同人に対する支払の内昭和二九年七月一〇日の金一三万二、三〇〇円、同月一二日の二〇万〇、二六九円は乙第二〇号証の二による支払記帳の即日別口勘定に入金され、長谷川某に対しても、昭和二八年七月一〇日別口勘定より支払済である。

(三)  <証拠省略>によると、「田垣、永田は前記業務上横領被疑事件につき検察庁において取調べを受けていた昭和三二年一一月四日被控訴会社との間にその代理人木崎弁護士を立会人とし田垣は金六二五万円、永田は金一八〇万円を被控訴会社に支払うと共に両名はその所有する被控訴会社の株式を木崎弁護士に提供する、税金等は一切被控訴会社が処理し両名に迷惑を掛けないとの約で両名と被控訴会社との紛争を一切解決する旨の示談契約を締結し両名が右約書を履行した」事実が認定される。しかし、このようにして田垣永田両名が被控訴会社に支払つた金額は同会社の資本金から考えて単に会社の正規の決算の面における横領金のみであるとは見ることはできないのであつて別口財産が同会社の裏財産でないとすれば、右両名が山下個人に対しては兎も角、同会社に対しかかる多額の支払をする理由は見出せないのである。

以上に掲げた(一)(二)(三)の諸点を総合して考えてみると、結局被控訴会社の設立後は、従来の三名共同事業当時の資産の内から、会社財産と切り離して別個に保留されたものはなく、そのすべてが会社の事業の運営に使用され、唯税金面の考慮から、単に計算上<フ>勘定として別口に記帳されたものにすぎないと認定すべきであり、原審証人中村鉄夫、吉岡一郎の各証言その他本件におけるすべての証拠調の結果によるも、以上の判断を覆えすに足りない。又田垣永田の両名がごまかし横領をしたから、会社財産に帰属しないとも謂えないこと勿論である。

第三、以上のごとく、被控訴会社の設立後は別に山下等三名の個人の共同事業は存在せずすべてが会社の事業そのものであつたと認定される以上、本件再更正が正当であるか否かは、冒頭に掲げた乙第一〇号証の二ないし四の記載内容が正確なものであるか否かにかかるのでこの点を判断する。

<証拠省略>を総合すると、前記今井治、岸本金徳の両名は、前記乙第一〇号証の二ないし四の作成に際しては次のとおりの処置をとつたことが認められる。

先づ控訴人が検察庁から借用した七九種類の帳簿その他の書類(乙第一号証の一・二記載)を比較検討の上、

(イ)  被控訴会社設立当時の貸借対照表写(乙第五号証)

(ロ)  昭和二九年三月一〇日現在の貸借対照表写(同第六号証)

(ハ)  同日現在の立木棚卸高概算表写(乙第七号証)

(ニ)  会社設立当時の出資額に応じた分配表写(乙第八号証)

(ホ)  昭和二九年三月一〇日現在の別口資産の分配表写(乙第九号証)

(ヘ)  昭和二七年以降昭和二九年度迄の各総勘定元帳(乙第一九ないし二一号証の各一・二)

を基礎として、

(ト)  被控訴会社の別口所得の実際分配明細書(乙第一一号証)

(チ)  立木棚卸評価説明書(乙第一二号証)

(リ)  昭和二八年三月現在立木棚卸計算書(乙第一三号証)

(ヌ)  前掲乙第一〇号証の二ないし四の各勘定科目の明細書(乙第一四ないし一六号証)

(ル)  昭和二六年度ないし二九年度立木買入勘定明細書(乙第一八号証の一・二)

(ヲ)  右期間銀行預金勘定明細(同号証の三)

を作成すると共に、永田、田垣に随時問い質し、又必要に応じて取引先にも問合せをして確認した。而してこの調査の間被控訴会社代表者山下純三、監査役長谷川都夫は会計に付き知るところが少ないため、その意見聴取をしたことは少なかつた。而して立木については時価によつて評価されていたものより低い取得価額によつて算出したものである。

乙第一〇号証の二ないし四が右のとおりの経過を辿つて作成された以上、たとえその間の調査において若干の誤謬の個所があるとしても、右の評価の差額を考慮に入れると、右乙第一〇号証の二ないし四の記載内容は控訴人として出来る限りの調査を尽した結果であつて、その正確性において欠けるところは無いものと認むべきであり、被控訴人の全立証によつても、以上の判断を覆えすに足りない。

第四、被控訴人は更に右再更正は手続上瑕疵があり違法であると主張するので、この点について検討する。

<証拠省略>によると再更正通知書の理由欄には前記明細が記載されているにすぎないことが認められるが、右再更正当時施行されていた法人税法第三二条(昭和三七年法律第六七号による改正以前のもの)によると青色申告書に対する更正の場合についてのみ理由の付記を要する旨規定しているにすぎないから、本件再更正が青色申告書に対するものでない以上、理由の付記がないから違法であるということはできない。又被控訴人が右以外にも手続上の違法があると主張する点については、本件再更正のなされた経緯が以上に認定したとおりであり、当審証人岸本金徳(第二回)は「山下、長谷川の来署したときに訊ねたが、終始判らんから説明できぬと言つた。いろんな質問をしても判らんと言われれば何時間居て貰つても、無意味である」と供述しているほどであるから、本件調査の過程において、被控訴会社代表者山下純三および長谷川監査役に対する意見聴取が必ずしも欠けるところがあつたとは認められない。而して控訴人において関係帳簿その他の書類につき調査した結果が正確性を失わないものであることは先きに判断したとおりである。してみると、控訴人の調査済の帳簿類の多くが提出者たる永田正一、田垣林太郎に返還されたため、被控訴人側において検討の機会を持ち得なかつた嫌いのあることは否定できないが、この点も控訴人が本件調査の上でとつた前示周到な処置を考えあわせるといまだ控訴人のなした調査の結果の正確さそのものに疑を挿む余地があると認めるには足りない。従つて、本件再更正の手続面に違法があるとしてその取消を求めることは失当であるし、況んや憲法第二九条に違反すると謂わなければならない程の重大なかしは、以上の調査過程の上において認定することはできない。

かような次第であるから、被控訴人の本訴請求は失当として棄却すべく、これを認容した原判決は取消を免れない。よつて、民訴第三八六条第九六条第八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 沢井種雄 村瀬泰三 兼子徹夫)

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